先月末は人間ドックだった。
場所は古くから母がお世話になっている、六本木の新赤坂クリニック。
ロアビルの11階、窓からはミッドタウンが見渡せる絶景だ。
しかし、その景色とは裏腹に、脳裏には嫌な思い出が走馬灯のように蘇る。
忘れもしない5年前。
場所は古くから母がお世話になっている、六本木の新赤坂クリニック。
ロアビルの11階、窓からはミッドタウンが見渡せる絶景だ。
しかし、その景色とは裏腹に、脳裏には嫌な思い出が走馬灯のように蘇る。
忘れもしない5年前。
同じこの時この場所で、父が「ついでに」と申し込んだ人間ドックがきっかけで
母の悪性リンパ腫と胃癌が発覚した。
直後に身内の脳裏を横切ったのは、その4年前(2000年)に亡くなった母の妹。
余命半年/原因不明のスキルス癌(治療不可能な細胞の癌)と診断され、
苦悶と絶望と中、最後は骨と皮だけになりこの世を去った。
以来、私の母が(母の)妹の子供の面倒を看ていた。
一緒にご飯を食べたり、家事を教えたり、ショッピングに行ったり、
彼女の成人式には、本当の母ではなく、私の母が寄り添った。
祖父母の介護にも追われ、休む間もない忙しない日々。
実は、そんな母の身体にも病魔が潜んでいた。
(ここでの詳細は割愛する)
即入院、即手術。
胃の3/2を切り取り、抗がん剤投与の化学療法により一命を取りとめ、今に至る。
最良の薬となったのは、家族の絆であった。
父の力が最も大きかっただろう。
雨の日も風の日も、どんなに疲れていても、一日も欠かさずお見舞いに足を運んだ。
病院への坂道を登る父の背中は、誰よりも大きく誰よりも頼もしく見えた。
訪れた父に接する母の笑顔は、とても自然で幸せそうだった。
父もまんざらでもない様子である。
遠目に2人を眺め、私も微笑む。
ふと考える。
今の私があるのは、父と母が出会ったから。
自分という存在を生み、ここまで育ててくれたから。
「私は幸せです」と深く感謝するのだった。
だから私にとっての人間ドックは、単なる検査ではない。
様々な思い出が詰まった運命の日。。
亡くなった母の妹の事を考えると...
生死の裁判
と言っても過言ではないくらいの重みがある。
例え健康という認識があっても人間ドックに通う。
今の自分を知るため、隠された病魔を探るために。。
...
..
.
話が脱線してしまったので結果は後日書きます。
母の悪性リンパ腫と胃癌が発覚した。
直後に身内の脳裏を横切ったのは、その4年前(2000年)に亡くなった母の妹。
余命半年/原因不明のスキルス癌(治療不可能な細胞の癌)と診断され、
苦悶と絶望と中、最後は骨と皮だけになりこの世を去った。
以来、私の母が(母の)妹の子供の面倒を看ていた。
一緒にご飯を食べたり、家事を教えたり、ショッピングに行ったり、
彼女の成人式には、本当の母ではなく、私の母が寄り添った。
祖父母の介護にも追われ、休む間もない忙しない日々。
実は、そんな母の身体にも病魔が潜んでいた。
(ここでの詳細は割愛する)
即入院、即手術。
胃の3/2を切り取り、抗がん剤投与の化学療法により一命を取りとめ、今に至る。
最良の薬となったのは、家族の絆であった。
父の力が最も大きかっただろう。
雨の日も風の日も、どんなに疲れていても、一日も欠かさずお見舞いに足を運んだ。
病院への坂道を登る父の背中は、誰よりも大きく誰よりも頼もしく見えた。
訪れた父に接する母の笑顔は、とても自然で幸せそうだった。
父もまんざらでもない様子である。
遠目に2人を眺め、私も微笑む。
ふと考える。
今の私があるのは、父と母が出会ったから。
自分という存在を生み、ここまで育ててくれたから。
「私は幸せです」と深く感謝するのだった。
だから私にとっての人間ドックは、単なる検査ではない。
様々な思い出が詰まった運命の日。。
亡くなった母の妹の事を考えると...
生死の裁判
と言っても過言ではないくらいの重みがある。
例え健康という認識があっても人間ドックに通う。
今の自分を知るため、隠された病魔を探るために。。
...
..
.
話が脱線してしまったので結果は後日書きます。
コメント
コメントする